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兎園小説

耳の垢取(○○○○)
慶長年中、唐山の漂流船一艘、水戸の浦に著たり、いづくの者ぞと問ければ、大明太原県の者なりとて、七人乗組なり、此よし威公に申上しかば、そのものどもに尋させ玉ふやう、女等国に帰りたぐおもはヾ送り遣すべし、此国に居りたくば置くべしと仰下されければ、御国に居りたきよし願ふ所なりと申により、みな江戸に召して芸能おたづねさせ玉ひければ、玉春庭三官といふもの按摩導引おなすと申す、さらばとて御側勤の者に試させ玉ふに、妙手なりと申により、威公御自ら療せさせ玉ふに、無比類名人なり、殊に耳の垢おとり内お掃除する事、これまでなき術なりとて、大におぼしめしにかなひ、日毎に尼近し奉りければ、永く御館にめしつかはるべし、然る上は此国の風俗になれとて、月代おそり衣服お改め、遠藤氏の女おめとりて、遠藤勘兵衛と改めたり、さて男子出生しければ、名お賜はりて造酒之助と称す、〈○中略〉英一蝶がかける耳の垢とりは、此乗組のうちか、もしは王春庭が弟子にてもありしなるべし、〈○中略〉
乙酉四月 輪池堂