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瘍科秘録

聤耳
耳聾は其因一ならず、先耳に声音の聞ゆる機関お思ふに、太鼓に声音の応ずると同理なり、近世西洋学(おらんだがく)大に行なはれ、予〈○本間和卿〉も傍に其説お聞き、屢解剖お試たるに、耳竅の中に鼓膜と雲ふものあり、耳の聾るは此膜に滞りのあるなり、聤耳にて聾るは、鼓膜の腐煉或は瘡口より瘜肉お生じ、耳竅お塞ぎたるものなるべし、治し難しとす、疫にて聾るは、鬱熱のために鼓膜知覚の官お失ひたるなり、熱解すときは自ら愈る故、薬用に及ばず、人老て耳の聾るは、鼓膜衰弱し張の弛みたるなり、敗鼓(ふるたいこ)の弛みて声音の応ぜざると同じ、又老眼の衰易して鎖屑の物の見へぬと同理なることお知るべし、薬餌の治する所に非ず、聤聹(みヽくそ)にて聾ることあり、常に聤聹の湿りて出、或は脂の如くに出る者は、自然と耳中一杯に塞りて聾ることあり、江戸室町島屋平七と雲ふ者、耳の聾ること已に数年なり、来て治お請ふ、先づ紫雲お耳中へ滴入すること数日、後に水銃(すぽいと)にて温湯お耳中へ射注するに、炒菽(いりまめ)お拆(わり)たる様な物二片出て、又脂の如きもの多く出でヽ、宿痾脱然として去り、特に聡お覚ふ、後此手段にて耳聾お療治して、奇験お得たること猶多し、此事已に病源候論に載す、