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傍廂
前篇

加藤千蔭歙の月次会日に、我〈○斎藤彦麿〉若かりし時、季鷹県主と安田躬弦と三人にて行きけるに、何くれと物語しける中に、千蔭歙のいはく、近頃は本居宣長こそ金聾になりたれといはれしお、傍にて聞きて、躬弦がいはく、宣長お仮名聾とのたまふ千蔭先生は、真名聾にやといひけれど、千蔭歙にはきこえず、人々は打ちたふれてわらひぬ、季鷹県主にもきこえぬこそおかしかりしか、又或やんごとなき君の御まへにて、人々物がたりしける時に、守の殿のたまはく、近頃季鷹が狂歌に、
我耳の遠くなりしは年おへて聞えぬ歌およみしむくいか、とよみしは、いとおもしろしとのたまひければ、御まへに居たるくすし某の年老いたるが、さばかりの歌おのれもよみ侍るなり、さまでほめさせ給ふべきにあらずといへば、彼殿さらばよめとのたまふに、彼くすしがとりあへず、
我耳の遠くなりしは年おへてきかぬくすりおもりしむくいとか、いひければ、むらいのつみおもとがめ給はずて、こよなう入興し給ひけり、斯くいふ我も今は耳遠し、