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古事記慱
二十六
令経長眼〈眼字、諸本肥に誤り、真福寺本服に誤れり、今は延佳本に依れり、〉は、字の随に那賀米袁閉斯米(ながめおへしめ)と訓べし〈閉斯米おへせしめ、へさしめなど訓は、正しかず、此は万葉十七に、見之米(みしめ)、廿に依志米(えしめ)などあると、同格の言なり、令見令得なども、みせしめ、みさしめ、えせしめ、えさしめなど雲は後ぞ、〉長眼とは、心お著て久しく視居(みお)るお雲ふ、〈そも〳〵長目と雲言の本は、まづ目は所見(みえ)の約まれるにて、万葉などに、妹か目見ず、君が目お欲など雲も、妹が所見るお見ず、君が所見むことお欲と雲意なり、夢も寐の間に所見るお雲、さて如此所見は、彼方より所見るお雲言なれども、又其お見る此方の事になしても雲、面にある目も、他より物の所見る由の名なるお、見る此方の物に負せたるが如し、されば長目は、長く見ることにて、此も本は長所見にて、彼方より所見ることなれども、其お此方より見ることに雲なり、那賀牟と活用くも、牟は所見の約りたるにて、彼方より見ゆるなれども、全此方より見ることに雲り、さて那賀米には、眺字などお書く、此字の注に、眺望也とも、遠視也とも雲るに依らば、長とは遠く視る意の如くにも聞ゆれども、古より此言在用ひたる様お考るに、然には非ず、なほ久しく視る意なり、さて心に物思ふことある時は、つく〳〵と物おながめ居るものなる故に、中昔よりは、物思ふことおも、やがて那賀米と雲なり、さて又声お長く引て詠るおも、那賀米と雲、其は別事也、〉此は彼女人お御前に侍はしめて、婚まほしく所思看すさまにつら〳〵視居賜ふお雲るにて、天皇の御長目(みながめ)なり、〈師はなかめわたれどもと訓て、女人の長目とせられたりいかゞ、さては令字お置る意に当りがたし、〉恒令経とは、幾度も然る目お令見賜ふお雲なり、