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太平記
三十九
光厳院禅定法皇行脚御事
経日紀伊川お渡らせ給ひける時、橋柱朽て、見るも危き柴橋あり、御足冷く御肝消て渡りかねさせ給ひたれば、橋の半に立迷ておはするお、誰とは不知、如何様此辺に臂お張り、作り眼する者にてぞある覧と覚へたる武士七八人、跡より来りけるが、法皇の橋の上立せ給ひたるお見て、此なる僧の億病気なる見度もなさよ、是程急ぎ通の一つ橋お渡らばとく渡れかし、さなくば後に渡れかしとて、押のけ進らせける程に、法皇橋の上より被押落させ給ひて、水に沈ませ給ひにけり、