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陰徳太平記
三十二
杉原忠興死去附妾貞順事
忠興病日お迎へて重くなり、已に今はの際に成ければ、彼妾お近付、吾已に娑婆の縁尽ぶ、黄、泉の旅に赴なんとす、隻今生に思置事とては、御身の名残計也、御こと年いまだ三十には、はるかに及ぶべくもなければ、行末久しく春秋に富る身也、相かまへて、吾なき跡に、髪下し尼と成事不可有、又いかなる人にも相馴給へ、露恨とは思まじなど細やかに掻ろ談(かきくとき)ければ、彼女房何ともいらへはせず、唯涙に咽て在けるが、用ある様にて傍へ立のき、刺刀にて両の小鼻お立様に二所裁割、緑の髪お肩にだも掛らず押切て立出、忠興に向、又人に見えざらんと思へば、かヽる姿と成て候と雲ければ、忠興大に驚き、かヽる貞順の女も有けるにや、此志の程七度生お代るとも、更に忘まじぎぞとて涙お流しけるとかや、