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今昔物語
十六
瘂女依石山観音助得言語第廿二
今昔、誰とは不知ず中比京に階不苟ぬ人の娘有けり、形は極て美麗にして、生けるより瘂にてぞ有ければ、父母明暮此お歎き悲むと雲へども甲斐無し、暫は神の祟か、若は霊の為るかなど疑て、仏神に祈請し、貴き僧お呼て祈らせけれども、長大するまで遂に物雲ふ事無ければ、後には、父母棄て不知ざりけり、然れば乳母のみ此の人お哀むで過し程に、父母打次ぎ失にけり、弥よ乳母此の人お悲むで歎き思ける様、此の人に男お合せて子お令生て末の便とも為ばや、形ち美麗なれば、暫は見る人も自然ら有なむと思得て、或る殿上人の形ち吉く心に情有けるお、然気無くて合せてけり、女にも乳母泣々く此の由お雲聞せて心お得させたれば、合て後日来通ふに、男、女の美麗なるお見て、難去く労たく思て、万お語ふに、女総て物ら不雲ねば、暫は恥しらひたるかと思ふに、物の雲むと思たる気色作ら、目に涙お浮お見て、男此れは瘂也けりと心得つ、其の後志しは愚に非ずと雲へども、片輪者也けりと思ふに、少し枯々に成お、女心疎と思て跡お暗くして失にけり、男女の許に行たるに無ければ失にけりと思ふに、形有様お思ひ出されて心に係りて、此お恋ひ悲むで諸の所々お尋求れども、尋得る事無ければ、歎き作ら過ぐるに、女は石山と雲ふ所に、此の乳母の類也ける僧の有けるお尋て、親き女房一人の女童許お具して行にけり、〈○中略〉日来籠たる間に、比叡の山の東塔にと雲ふ阿闍梨有り、世に勝れたる験者也、時の人皆首お低て帰依する事無限し、其の人石山に参たるに、御堂にして此の瘂女の籠たるお見て、〈○中略〉阿闍梨観音の御前にして、心お至して加持するに、三日三夜音お不断ず、然れども其の験し無し、其の時に阿闍梨嗔お発して泣々く加持するに、女の口の中より物お吐出す事一時許也、其の後物お雲事、舌付なる人の如し、然れども其より物お雲ふ事例の人の如し、早う年来悪霊の致せる也、