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陰徳太平記
三十三
備中国松山落城附吉田左京亮自害事
左京〈○吉田左京亮義辰、中略、〉吾身は河中なる石上に腰(○)お掛、大音声お揚て、吉田左京亮義辰と雲大剛の者が、自害するお見置て、後代の物語にせよやとて、腹十文字に掻切、さて太刀お取直し、自喉お押切て、河水の底へ飛入ける形象は、項王の鳥江の戦死、弁慶が衣川の立死も、かくこそ有けめと、前後の敵共あヽ切たり左京とて、感ずる声少頃は鳴も不れ止けり、彼腰掛たる(○○○○○)石おば、時の人吉田石と号し、今に陵谷の変にも不値とかや、