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大祓詞後釈

屎戸(くそへ) 後釈、戸は借字なり、久曾閉と訓べし、閉(へ)は閉理(へり)の理(り)お省ける言也が、くさまの理は、省く例多し、日並知と申す御名お、ひなめしと申すがごとし、さて屎閉理(くそへり)とは、古事記に屎麻理とあると同事にて、屎おするおいふ、和名抄に、痢久曾比理乃夜万比(くそひりのやまひ)、また放屁倍比流(へひる)とある、比理(ひり)と閉理(へり)と通音にて同言也、今の俗言にも、小き虫などの、卵お生出して物につけおくお、へりつくるといふも是也、さてこはもと須佐之男命の犯し給へるは、大嘗の殿お穢し給へるによりての罪なれば、此国土にして、人のうへにても穢すまじき所お、此わざおして穢すお、罪とはするなるべし、此戸字お斗(と)と訓て、古語拾遺おはじめ、みな其意に解るはひがごと也、又考〈○祝詞考〉に、処の意とせられたるもわろし、罪の目に、屎戸屎処などのみいひては聞えぬことなり、天〈つ〉罪七つお挙げたる六つは、みな放埋蒔刺剥(はなちうめまきさしはぎ)と、其なせるわざの言おあげて罪の名とせれば、これも閉理といふわざの言おいひてこそ、余の例の如くにはあれ、又屎お久志(くし)と訓るは、久曾(くそ)といふ言の俚きお避けたるなれど、そは後の事也、古書には久曾と雲言多く見えて、嫌ひたることなし、万葉の言にもあり、又師の曾お濁音によまれたるもよしなきこと也、