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古事記伝
二十八
月経は、〈婦人の月水お、月経とも経水ともいへり、〉如何に訓べきにか、和名抄に、月水俗雲佐波利、うつぼ物語〈俊蔭の巻〉に、何時よりか御けがれはやみ賜ひし雲々、〈妊める月数お問たるにて、月水は何の月より止しそといへるなり、〉風雅集〈神祇〉に、もとよりも麈に交はる神なれば月の障も何か苦しき、此は和泉式部熊野へ詣たりけるに、障にて奉幣かなはざりけるに、晴やらぬ身の浮雲の棚引て月のさはりとなるぞ悲しき、とよみて寐たりける夜の夢に、告させ賜ひけりとなむなどあれど、障と雲も穢と雲も、月水の出ることお雲る称にして、正しく其物お指て雲るには非ず、されば佐波理著(さはりつき)たりなど雲むは、いかにぞや聞ゆ、故今は姑く佐波理能母能(さはりのもの)と訓つ、〈又は佐波理能知とも訓むべし、知は血なり、延佳も師(加茂真淵)も、御歌に依て、つきと訓れたれど、其は非ぬことなり、其由は御歌の処に雲ふべし、○中略〉一首の凡ての意は、吾大君よ、先に契りおき賜ひしより、年の経ぬれば、其ほどに月次は多く経ぬれば、君お待かね奉て、月の立て見え侍らむは、まことに然あるべきことなり、理なることよと雲るなり、月のかはれば天なる月も立て見え初る物なればなり、〈王の御歌に、月立にけりとあるは.たゞ天に月の見ゆる意のみなるお、此歌にては其お月次のかはりて、初て月の見えそめたるに取なしたるにて、朔てふ名の意なり、〉さて此歌に依て思へば、此月経は初めて見えたる遍にやありけむ、されば初事にて習ざる故に、心せずて意須比にも著て、人の御目にもかヽりけるにやあらむ、〈されどかくまで推度らむは、あまり精きに過て、いかがにもやあらむ、〉