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看聞日記
応永廿三年七月廿六日、抑伝説記録雖比興、風聞巷説記之、〈○中略〉又去五月之頃、河原院聖天へ女房一人参詣しけり、七日に満しける日、御前に所作して居たりけるが、つい立て出けり、良久見へざりければ、寺僧あやしみて見けるに、薮に向て小便(○○)おしけるが、よりすぢる風情おしければ、あやしくて暫見けるに、此女たヾならず、悩乱しければ、人々につげて寄て見たりけるに、大なる蛇、小便の穴へ入てけり、法師ども寄合て女おあおのけて、蛇の尾お取て引けれども出ず、四五人力お出して引ける時、蛇のすきさしの辺より切て、頭の方は腹へ入ぬ、女房は死せるが如くに成たりけり、いづくの人ぞと問ければ、息の下にしか〴〵の所と雲ければ、人おつかはして告けり、輿中間などあまた来て、女房お取て帰けり、やがて死たりときこゆ、容顔もよに尋常なる女にてぞ有ける、何事お祈請申けるやらん、聖天の罰かとぞ沙汰しける、かヽる不思儀ども満耳、