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歴世女装考

髪筋おかんざしといひし事
和名抄〈冠帽の具の部〉に簪〈和名〉加無左之挿冠釘也とある、此簪は冠の紐お係て落ぬやうにしておく物なりといへり、然れば今のかんざしとは異り、さて又今より七八百年の中昔に至りて、かんざしといふ名目あり、〈○中略〉雅亮装束抄〈巻上〉五節所の事といふ条に、えりくし、まきくし、かんざしおぐして五せち所ごとに、おきまはるなり、〈同巻〉に姫君のさうぞくといふ条に、とらの日〈中略〉すえ〈今いふかもじの事〉ひたひ、かみあげまうく、かんざし、さいし四筋あるお、本所にまうく、かちくし、したくし、えりくし、おぐし、しかい、これらはくら人かたに、まうくとあり、前にもいへる如く、和名抄に、簪の字加無左之と訓せたれど、此かむざしは冠の紐お係る釘のやうなる物め名なり、然るに後の世にいたりては、右に引たる古今集にも装束抄にも、かんざしとあ、るお、古今の歌のはしがきに、かんざしの玉のおちたりけるおといひしに拠て考れば、今の花かんざしのやうなる物にやありけん、確証お得ざれば強てはいひがたし、さて前に引たる本居大人が源氏お注したる玉の小櫛に、かんざしとは、髪のさしざまといふ事といはれしは、げにさる事にて、往古はさら也、近き三百年前までも、髪すぢお、かんざしといへり、貴船本地〈文明の頃のお伽草子、さいしき絵入写本、〉下の巻に、父がむすめお折濫する所、御たけにあまりたるかんざしお手にからみ、じやけんのゆかにひきふせて、又富士人穴草子〈東山殿比のか伽さうし、寛永九年板全二冊、〉上巻、女おほめる詞に、三十二相ぐそくして、たけなるかんざしはせいたいがたていたに、こうろぎのすみおながしたるごとくなり、〈虫のこうろぎの墨に髪のつやおたとへたる也、せいたいは板へながしてつくる物とぞ、〉按に三百年前までも、今のやうなるかんざしといふ、目につく髪のかざりなかりしゆえ髪筋のことお、古言のまヽにかんざしと言ても紛れざりし也、今はあの娘のかんざしはちヾれてあると言ば、べつかふのまへざしの焦てあるかと思ふめり、是簪といふ物いできて、其名も広くなりしゆえ也けり、