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源平盛衰記

殿下事曾
関白殿〈○藤原基房〉これおば争可知召なれば、大内の御直廬へと思食て、常の御出仕よりも花やかに、前駈御随身殊に引繕せ給て、中御門、東洞院の御宿所より、大炊御門お西へ御出なる、堀河猪熊の辺にて、兵具したる三十騎計走出て、前駈等お搦捕けり、安芸権守高範ばかりぞ、御車に副て離ざりける、式部大輔長家、刑部太輔俊成、左府生師峯等も、本どりおきらる、結句車の物見打破、太刀長刀お進ければ、隻夢の御心地ぞし給ける、高範車お廻てあやつり御けるお、難波太刀お振て御車に向けり、高範心うさの余に走より、很藉の奴原也、何者ぞとて組たおしてころびけるが、高範すぐやか者にて、難波お押へて拳お把(にぎ)り、䪺(つら)お打、郎等主お助んとて、高範が本どりお取引上たり、経遠力お得て、駻返(よりかへつ)て主従二人して、手取足取せヽり倒して、髻お切とて、是は女おするには非とぞ哼(のヽしり)ける、浅増と雲も疎也、左近将〓盛佐は、馬お馳て逃けるお、打落て是おも搦てけり、