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古事記伝

御髪は美加美(みかみ)と訓ずべし、〈古書にみな美久志と訓痴附たり、中古の書にも、おほむぐしと雲、今もおぐしと雲、されど此は櫛よりうつれる後の称なるべし、此事上にも論ひおきつ、〉さて上代の女の髪の様は、師〈○賀茂真淵〉の万葉註に委く見えたり、然るに今こヽに解と有お、書紀には、結髪とある解と結とお違へるに似たり、故猶考に、まづ凡て女は年長て(おとなになり)髪あぐるは、上代よりの儀なるに、飛鳥浄御原宮御宇十一年の詔に、自今、以後男女悉結髪とあるお思ふに、上代に結(あぐ)と雲しは、本お一にあつめ挙て結(ゆひ)て、其末は後へ垂たりけむお、彼詔に結とあるは、頭上に結綰て髻と成お雲ふなるべし、〈髻とは一に綰たうお雲なり、かの男の二つに分け主い美豆良とは異なり、〉さて、同十三年には、女年四十以上、髪之結不結任意也とありて、又十五年の詔に、婦女垂髪于背猶如故とあるは、又かの上代よりの風の如くせよとなり、故に此十五年の詔以後の万葉の歌にも、髪あぐることお多くよめるは、かの本お結ことにて、末は垂なれば、彼詔に違ふことなし、さて此に解(とき)とあるは、かの本お結たる所お解なり、〈神功皇后の解髪とあろも是なり、然る在或説に、此解宇お和気と訓て、三山冠の形おまなばせ給ふなりといへるは強説なり、〉書紀に結とあるは、末の垂れたるお挙てなり、かヽれば言は異れども、実は同事にて、違へるには非ず、〈此事よくせずは、人の思ひまどふべさものぞ、〉