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倭訓栞
前編十/佐
さかやき 太平記に、月額およめり、さかやきの跡青いと見ゆ、今の額に角入る事にて、今いふさかやきにあらずともいへり、今いふは冠(さか)明の義也といへり、もと月代といひしおもて、今も月代おさかやきとよめり、沙石集に、月代ある入道、撰集抄にあさましくやつれたる僧の、近く家お出にけると見えて、月しろなどあざやかにも見ゆめりといへり、冠の半額お半月形ともいへば、事の起りは冠より出たる事なるべし、もと五刑に及ばぬほどの軽罪は、髠刑とて頭髪おそる事はあれども、和漢ともに平人の髭髪おそる事はなかりしに、西土の辮髪、此邦の月代など、皆僧尼より事起りたるともいへり、又応仁の乱より、常に甲冑お帯したりければ、武士のさかやきの大きくなれるも、此頃よりの事也ともいへり、海防纂要に、各倭頂髪開塘、外髪稍長と見えたるは、専当時の風俗お書せるものなり、中山伝信録に、剃頂髪留外髪、一囲綰小髻於頂之正中といへれば、琉球も亦風お同うす、