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貞丈雑記
二/人物
一月代(さかいき)お剃る事、京都将軍の比まではなし、皆総髪也、又もとヾりおわくる事なし、茶せん髪なり、えぼしかぶる為なり、今の如くわげおしては、えぼしかぶるにわろきなり、或説に、砂石集に、月代と雲ふ事見えたれば、鎌倉時代より月代はありし事なりといへり、されども古は常に月代剃りたるにあらず、久しく打ちつヾきたる合戦の時、常にかぶとおかぶり、気のぼせて煩ふ事あるによりて、頭の上お丸く中ぞりおしける也、其の形月の如く、丸く白くなる故、つきしうと雲ひしなり、月白と書くべきお、今は月代(つきしろ)と書くなり、つきしろの事お、さかいきと雲ふは、気さかさまにのぼせるゆえ、さかさまにのぼするいきおぬく為に、髪おそりたる故、さかいきと、いふなり、さかやきと雲ふは、あやまり也、扠右のごとく、合戦の間は月代おそれども、軍やめば、又本のごとく総髪になる也、天正文禄年中などの比、天下大にみだれ、信玄謙信など、其外諸大将合戦数年打続きたるゆへ、常に月代そる事絶ずして、其後太平の世になりても、其の時の風儀やまずして、今日に至るまで、月代そる事になりたる也、今とても公家には、昔の如く月代そり給ふことなし、京都将軍時代の旧記に、月代の事なきは、その比月代そるといふ事はなかりし故也、又古はひげおそりぬきなどする事なし、古の絵師の書きたる、ふるき絵お見て知るべし、ひげは刈りたる体に見ゆる也、又古はひたひのすみおぬく事もなし、今も公家にはひたひのすみぬかざる也、ひたいのすみぬく事は、近代男だてといふ者共、顔おおそろしく見せんとて、し出しけると也、今は好色の為にもぬく也、