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我衣
明暦あたり迄は、女のかうがい多くは鯨の棒かうがへなり、寛文のころよりも鼈甲おさす人もあり、髪は片わげなり、是は内室なり、下女はかうがいぐるなり、早正徳の比は下女も鼈甲おさし、ぐる〳〵結なり、此時比よりかうがいの先お反し角ぐるに結ぶ、
宝永までかくのごとし
古風は、かたわげの元結、上えむすび上たり、こ枕お用ゆ、
かうがいのさき如斯、正徳の比、若き女ばかりこの風お用ゆ、
享保より、かたわげ下へ結び下げる、或は内へ結ぶ、
寳永迄は、結び髪とて、遊女是お専とす、もみ上此時始る、
長く下げる、下へ引出す、たぶながし、
享保中ごろまで、中ふしに結ぶ、丸し、たぶ少し短し、
元文より、百会へとり上て結ぶ、目おつり上る、たぶもなし、延宝、貞享のころより、遊女洗髪お、水おしぼりて、髪先きお紅羽二重にて包て下げたり、元禄より結上る、延宝までは、有合の絹切にて包むなり、元禄より白き晒し木綿にてしぼり、其儘むすぶ、是風延享の比迄用ゆ、其外島田に品々あり、元禄迄髪長く多きお良とす、
愚案、島田と雲風は、承応の比、駿州島田の駅旅籠屋の女、始て此風に結ぶ、下卑たる風なりしお、いつか国々に伝へ、今は高貴の娘も皆此風なり、
又勝山と雲風あり、宝永の始に、大坂より勝山湊と雲若女形下り、始髪お大輪に結たり、是風お勝山と雲、後立役に成、勝山又五郎と雲、
又元禄の比より末、吉原の遊女勝山始て大輪に結びて此風流行す、
もみ羽二重
白木綿
天和比の傾城の全盛にみゆ男女心の如きは形に顕す、然れば形は恥か鋪ものなり、手跡の心お顕すが如し、〈○中略〉女は柔弱は不苦、たヾ柔和よしとす、然るに邪見にして髪形にあらわるヽは如何ぞや、心のするどなるより起る、寛保の比よりは、いよ〳〵甚し、仁のすたる時なるか、
寛延よりたぶ短し、びんお横へ出す、片わげの尻お上る、櫛かうがへ大なり、銀のかんざしお用ゆ、けんどんなる事なれども、前よりはしやんと見ゆ、
男女の髪時々変る事〈○中略〉
女中も髪物ずき折、々かわるものなり、上古よりかたわげおよしとす、解ば則さげ髪となるなり、ふり袖は島田なるべし、猶立かけ上品なり、
かつ山
辰松しまだ、享保年中はやる、延享年中、此風はやる、たぶおなくして、横にびんお開かせ、まげめちいさく、百会いたヾきへ上て結、えりのよごれざるお第一とす、