[p.0550]
骨董集
上編下末
天和貞享の比の雛人形〈○図略〉
井原西鶴が遺稿お、元禄八年印行せる、俗つれ〴〵といふものあり、四のまきに、美女のすがたおえがけり、そのさま、此ひいなにいさヽかもたがはず、その絵のかたはらにかきて雲、しめつけ島田(○○○○○○)かみさきもあともおなじたけにして、まん中にひらもとゆひおかくる、又雲、ふきまへがみ(○○○○○○)、くぢらのひれのまがりたるものお入て、かみのうごかぬやうにす、又雲、ふきびん(○○○○)雲々といへるも、此ひいなのさまによくあへれば、これお天和貞享のころのものとさだむ、西鶴がさうしかけるは、おほかたそのころなればなり、かヽれば此ひいなのかみは、しめつけ島田、ふきまへがみ、ふきびんといへるゆひぶりとしるべし、