[p.0564][p.0565]
歴世女装考

振分髪(ふりわけがみ)
小児男女とも、三つより五つ六つのほどになりて、髪の毛肩あたりにたるヽ比までおうない子といふ、それすぎて、十三四以上になりて、髪やヽ長くなり、帯にいたるまでお、うないはなり(○○○○○○)、又わらは(○○○)ともいふは、女のみの名なり、〈(中略)今よしあるあたりにて礼式のとき、わらはといふ御ぐしになし玉ふは、古風の残れるなり、下に引く源氏わらはの名目あり、○中略〉振分髪の間は、成長につれて、髪ものび安ければ、一年のうち二度ばかりは、のびみだれたるお剪そろゆるよし、岷江入楚〈中院通勝卿源氏の註書〉紫の上髪そぎの下にみえたり、源氏の本文に、あふひのまき〈源氏の君、紫の上おともなひて、加茂のあふひまつりみにゆかんとするところ、○中略〉女房〈紫につかふ童女お、源たはむれに女房といふ、これにも髪そぎさす、〉いでねとて、わらはすがたども、おかしげなる髪どものすそ、はなやかにそぎわたして、うきもんのはかまにかヽれるほどけざやかにみゆ〈○中略〉とあり、此時紫の上十四歳の夏なり、同年の冬、源氏と新枕ある事、同巻にみえたり、源氏は紫式部が胸間より出し作り物語なれど、当時の事物おうつしかきたる物なれば、今より九百年前は、男もたざるほどは、禿なる証とすべし、此風近き比までも残れる事、前に出したる図お見てしるべし、