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松屋筆記
百三
童女放(うないばなり)
万葉集十六巻〈八丁右〉竹取翁歌に、〈○中略〉按童児おわらはと訓直したるはよろしからず、旧訓に従て、うないとすべし、初段の童子お、旧訓に、うないとせしは誤也、いかにといふに、初段は竹取が童子の時おいひ、二段は少女の貌おいへればなり、然てこヽの詞の意は、少女が黒髪お、真櫛もて掻垂て放(はなり)にもし、又戯に取つかね、童子の総角の貌にもなし、又それお解乱して、髫髪にもしうないて見るよしなり、
同巻〈十六丁左〉に、古歌曰、橘(たちばなの)、寺之長屋爾(てらのながやに)、〈○中略〉按若冠女は、男子の未冠のほどお、女の事に借用て書る也、著冠は男子の已に冠せしお借用たるにて、結髪(かみあげ)せし女子にいへる也、古き歌の意は、橘寺の長屋に、吾率宿せし放髪鉱(うないばなり)は、今比は、ねびまさりて結髪し、男持たらん歟と思ひやれる也、允恭紀七年に、妾初自結髪(かみあげん)陪於後宮、既経多年と見え、万葉集七の巻に、未通女等之(おとめらが)、放髪乎(はなりのかみお)、木綿山(ゆふのやま)とも、伊勢物語に、くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬと百よめるみなおなじ、竹取物語〈抄本上三丁左〉に、此ちごやしなふほどに、すく〳〵とおほきに成まさる、三月ばかりに成ほどに、よきほどなる人に成ぬれば髪あげなどさたして、髪あげせさせ裳著す、帳のうちよりも出さずとも見ゆ、長年が改たる歌の意は、橘の実の紅く生て、おひ立る長屋に、吾率宿したりし童女は、今比はおよづけて放髪鉱(うないばなり)に髪おや挙つらんと、おもひやれる也、いづれにしても聞えたる歌也、これお一お取て、一おば誤としたる説どもは、宇奈井波那理のさまお解得ざるゆえなり、そも〳〵うないばなりは、中の毛お項(うなじ)の上の処に束ねゆひ、其外廻りの毛おばたれさげ、肩にくらべ切て、放髪にしたるゆえの称也、今世女見の禿髪(かぷろ)といへるに、これに似通ひたる体あり、項(うなじ)はぼんのくぼにて、うなじのくぼとも、俗にぼんのくどとも雲これ也、和名類聚抄宝生院本、人倫部男女類の条に、後漢書注雲、髫髪〈上音迢、字亦作髫、和名宇奈井、俗用垂髪二字、〉謂童子垂髪也、按字奈井放とも、省きて宇奈井とのみもいへるなり、髫髪の字面はよく協へりともおぼえず、
同〈○万葉集〉十四巻〈廿五丁右〉相聞往来歌に、多知婆奈乃(たちばとの)、古婆乃波奈里我(こはのはなりが)、〈○中略〉按〈○中略〉波奈里は例の童女鉱なり、そも〳〵宇奈為は、女見八歳お過れば、童髪お内外に分て、内の毛お項につかね.ゆひ、外廻の毛おば、たれさげ放毛にし、肩、の辺より少しさげて、切そろへたるお、宇奈為波奈利といひ、省では宇奈為とのみもいへり、これ女見の称にて、男児にはいへる例なし、然て十四歳よりは、放(はなり)の髪お挙て結ひ、女姿になる事也、男児は二八十六歳にして陽道通ずれば、冠して男姿になり、女児は二七十四歳にして陰道通ずれば、結髪して女姿になる事なれど、中には早晩ありて、必この定にもあらず、宇奈は宇奈自(うなじ)お省たる語にて、頭の後おいふ、新撰字鏡〈四丁左〉肉部に、〓大侯反、去、項衡駕処(かしらのうしろのまくら)、猶項也(するところなり)、宇奈己夫、又宇奈自雲々、項衡は頭後の写誤なり、宇奈己夫は枕骨也、和名抄〈三巻〉頭面類部に、陸詞切韻雲、項胡講反、頸後也、公羊伝注雲、斉人項謂之脰、田候反、和名宇奈之雲々など見ゆ、祝詞〈祝詞考上巻、十九丁右、卅三丁左、四十丁左、〉に、宇事物頸根衝抜(うじものうなねつきぬき)とあるは、首根にて、俗にいふぼんのくど也、鵜の水に潜如く、頭お倒にして、平伏する貌也、八千矛神の御歌〈古事記上巻四十一丁左〉に、宇那加夫斯(うなかぶし)とあるは、項傾(うなかぶし)にて、項お傾垂て泣貌おいへる也、纉世継〈六巻十三丁左〉ゆみのねに、人のいたく烏帽子の尻高ぐあげたるに、うなじのくぼに結ていでんと思ふ也雲々、源平盛衰記〈十三巻、十六丁左、〉熊野新宮軍事に、鳥帽子の尻、盆の窪に押入て雲々、長門本平家物語〈八巻〉高倉宮御事に、えぼしぼんのくぼに押入て雲々、三議一統〈上巻廿丁左〉法量門に、大くび先お、後のぼんのくびにあつるやうにあてヽ、腰お引まはし雲々、此等のうなじのくぼ、盆の窪などみな今俗に雲ぼんのくど也、