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松屋筆記
六十九
垂髪
垂髪は、童男女の髪お垂たる貌によれる名なれど、中比より児喝食の事にいへり、うない、はなり、ふらはめざし、あげまきなどのゆえよしは、既に六十七の巻〈七十五則〉に弁別せり、さて垂髪の字面は、後漢書鄧禹伝〈五丁お〉に、父老童稚、垂髪戴白満其車下、莫不感悦、注に、垂髪童幼也、戴白父老也雲々、同書呂強伝〈廿七丁お〉に、故太尉段炯、武勇冠世、習於辺事、垂髪服戎、功成皓首、注に、垂髪謂童子也雲々、晋書陳敏伝〈九丁う〉に、永長宿徳情所素重、彦先垂髪、分著金石雲々など、これかれ見ゆ、蘇軾詩には、半白不羞垂領髪.軟紅猶恋属車塵とも作れり、和名抄老幼部に、髪漢書注雲、髫髪謂童子垂髪也、和名宇奈為、俗用垂髪二字雲々、玉海、吾妻鏡、明月記などに、垂髪と見えたる、皆髪お垂たる童児にいへり、夫木抄雑十七に、垂髪子の歌お挙げたるに、うないごが、草刈笛雲々、うないこが、ふりわけ髪雲々、かくる草かづら雲々、うちたれ髪雲々、かぶろなるうないども雲々、ならす麦笛雲々などの詞あり、宗祇児教訓に、世中の、わるき若衆の、ふるまひお雲々、滑稽詩文に、喝食若衆と見え、若気勧進帳に、若気小僧喝食若衆児(にやけこぞうかつしきわかしゆちご)などあり、垂髪、若衆、うないなどは、同物異名にて総名也、喝食は僧になるべき児のいまだ剃髪せざるほどおいふ、若気(にやけ)は、今俗にもにやけ者、にやけた男などいひて、男色もはらの若衆にいへり、児若衆同物ながら、若衆は総名、児は法師の近習の小者にいへり、慈昭院殿家集〈足利義政公〉に、垂髪
常磐山とはにはさかずいはつヽじ春の日数おたづねてもとへ、此歌すいはつおかくせしなり、いおいにせしは、後の歌なれば論ずるにおよばず、卯花園漫録四の巻に、柱懸の垂撥の歌とし、其図お出し、表は黒塗にて、裏に此歌お金粉の蒔絵にしたるものヽよしいへり、