[p.0591][p.0592]
塵塚談

此二十年来、〈○寛政以来〉女髪結といふ者出来たり、遊女は此女にのみ結することのよし、此已前より女髪結ありしことにや、予〈○小川顕道〉しらず、此比は江戸町々、其日暮しの婦女迄も、結する事に成けり、油元結等は此方より出し、一度の結賃百文づヽなり、昔より相応に暮す者の婦女は、毎朝髪結粉飾する事にて、今以かはらず、右髪結に委ぬる者は、持髪とて五六日に一度結よし、上方筋は一け月に壱両度も結ふよし.度々結ふものおばふたしなみと笑ふことなりとかや、されど女髪結ひに委ぬる事には有べからず、自分々々にゆふ事なるべし、近き年は、四民とも髪結事のみにあらず、上方辺の惡風俗にうつう、人気甚いやしくなれり、