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沙石集
三上
忠言有感事
同き〈○北条泰時〉御代官の時、鎮西に父の跡お兄弟相論する事ありけり、父貧くして所領おうりけるお、嫡子かしこきものにて、まづしからぬまヽに、これお買て、還て父にしらせけは、かヽりけるほどに、いかなる子細かありけん、弟に跡おさながら譲ぬ、兄関東にて訴訟す、弟召れて対決す、兄嫡子なり奉公有り、申所道理あれども、弟譲文お手ににぎりて申上は、共に其いはれあり、成敗しがたしとて、明法の家へたづ子らる、法家に勘へ申ていはく嫡子也、奉公有といへども、父すでに弟に譲ぬ、子細有にこん、奉公は他人にとりての事也、子として奉公は至孝のつとめ也、弟が申所道理なり、仍弟安堵の下文給て下りぬ、泰時この兄お不便に思はれければ、自然に闕所ばしもあらば、申あつべしとて、我内におきて衣食の二事思あてられけり、名人なる女おかたらひて、あひすみけるが、彼女もまづしきものなはける事お、雑談の次に人々申出て、あの殿の女房は、いたヾきに毛一もなき(○○○○○○○○○○)とこそ承はれと雲、泰時いかにと問はる、二人ながら、まづしく候ほどに、下人は一人も候はず、われと水おくみ、いたヾき候ほどに、頭には毛一もなきとこそ承はれとて、人々わらひければ、あはれなることにこそとて、うちなみだぐみて、事にふれてなさけありてぞはぐヽまれける、さる程に本国に闕所有ける父が跡よりも大なる所お、秋の毛の上へお給て下るべきにて有りければ、用途馬鞍なんど沙汰したびて、いかに女はぐして下るべきかと問はる、この二三年わびしき目みせて候つるに、具て下候て、早く飯くはせてこそ、心は慰候はんずれと申ければ、いみじく思はれたり、なさけの色返々哀とて、女房の出立もせよとて、こま〴〵と馬鞍用途まで沙汰したびけり、有難き賢人にて、万人の父母たりし人也、