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続視聴草
初集十
髪きり
くすしのとぶらひてかたらふおきけば、此ごろ東の台にものヽけの侍りて、おうなの髪きられたり、かうやうのこと世にもおこなはれはべるといふお、さる事はおこのものヽいひのヽしるわざにて、まことにはあらじと聞すぐしはべりし、その夜また人のとぶらひて、大みきくみなどしけるに、いぬきがあらぬこそあやしけれと聞えければ、よべよりつぼねにありと聞ゆ、まろうどのまうで給ふに、かヽるわたくしのいとなみこそうしろめたけれと、刀自がいましめおもえきかでさて有けり、よふけて刀自がつぼねへ来たり、人々はやふしたまひぬ、おこともふしねといふに、おどろきて、いぬきもわがへやへ行ければ、刀自はおのがふしどにいりにけり、やヽありていぬきが声して、あはやとさけべども、例の翁丸がものむさぼりに来るなめれと驚かで、刀自はかうよりに火ともしにかしこへ行て、いぬきがたえいりたるかたへに、黒かみのおちいたるお見て、すはものヽけこそあなれとよばひけるにおどろかれて、とみにはしりつどひて、引たてたれど、いぬきはつや〳〵ものもえいはず、いざりいでヽよヽとなく、ことのやうおとひはべれば、たヾ物のありて、かたのあたりへさはりけるやうにおばえけるに、はや髪はきられたりければ、絶いりつと、わなヽく〳〵かたりける、かヽる事は野ぎつねなどのわざにて侍るよし、人の申ければ、
まだきにもきつにはめけりうば玉の夜もふけぬまに落る黒髪
享和元冬 間宮士信識