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慶長見聞集

当世男髭なき事
見しは昔、愚老若き比、関東にておのこのひたひ毛、頭の毛とは、髪刺にてもそらず、けつしきとて、木お以てはさみお大にこしらへ、其けつじき、頭の毛おぬきつれば、かうべより黒血流て、物すさまじかりしなり、頭はふくべの如しとて、毛のなきお男の本意とす、扠髭はへたる男おば、面にく体髭男と雲てほむる、皆人ひげお願ひ給へり、〈○中略〉ひげはへたる人は、自慢顔して、気晴ては風新柳の髪お梳と作れる詩の心も面白し、昔頼義、貞任宗任お責られしとき、度々におよんで、十人の首お髭共に切たる剣あり、故に髭切と名付、源氏重代の宝剣、奥州の住人文寿といふ鍛冶鋳たり、此等も髭のいとくならずやなどヽいひて、明くれ髭おなであげて、おろしひねり給ひける、又ひげはへぬおば、おんな面と雲て、あざらひ笑ふ、催馬楽に、けふくなうとは、髭なきとも有、万葉に、かつまたの池はわれしる蓮なししかいふ君が髭なきがごとく、とよめり、然るに髭はへぬ男は、一期の片輪に生れけることの無念さよ、女づらお見らるヽ口惜さよと、人の余所ごといふおも、我髭のことが、はづかしさの、おもひ内にあれば、色顔にあらはる、されば天正の頃ほひに、小田原にて、岩崎嘉左衛門、片井六郎兵衛といふ者、ざれ言お雲あがりていさかふ、嘉左衛門に髭なし、六郎兵衛あの髭なしと惡口しければ、即時にさしちがへ死たり、さる程に、男たる人の髭なしといはるヽは、おく病ものといはるヽほどのちじよくと思ひたまへり、故に髭なき男は、あはれ髭はゆるものならば、身おしろかへて、毛髪おはへさせばやと願ひたり、此十四五年此方、頭に毛のなきお、年寄のきんかんつぶり、はへすべりなどヽ、あだ名お雲て、若き人たち笑ふ、扠髭はへたるつらは、どんなるつら、えぞが島の人によく似たりといひならはし、上下の髭お残さず、毛抜にてぬき捨る、然間笠お著、頭包たる人おみれば、法師とも男女とも見分がたし、されどもむかしに返る事も有べければ、異相なる人ありて、頭毛おぬき、髭おはへさせたらんには、皆人髭はへて昔男のなりひらとやいはん、