[p.0629][p.0630][p.0631]
今昔物語
二十
讃岐国女行冥途其魂還付他身語第十八
今昔、讃岐国山田郡に一人の女有けり、性は布敷の氏、此の女忽に身に重き病お受たり、然ば直しく味お備て、門の左右に祭て、疫神お賂て此れお饗す、而る間閻魔王の使の鬼、其の家に来て此の病ふ女お召に、其鬼走り疲れて、此祭の膳お見るに、此れに靦て此膳お食ふ、鬼既に女お捕て将行く間、鬼女に語て雲、我れ女が膳お受つ、此恩お報ぜむと思ふ、若し同名同姓なる人有やと、女答雲く、同じ国の鵜足の郡に同名同姓の女有と、鬼此れお聞て、此女お引て彼鵜足の郡の女の家に行て、親り其の女に向て、緋袋より一尺許の鑿お取出て、此家の女の額に打立て召て将去ぬ、彼山田郡の女おば免しつれば、恐々つ家に帰ると思ふ程に活ぬ、其時に閻魔王此の鵜足の郡の女お召て、返来るお見て宣はく、此れ召す所の女に非ず、女ぢ錯て此お召せり、然れば暫く此女お留て、彼山田の郡の女お可召と、鬼隠す事不能で、遂に山田の郡の女お召て将来れり、閻魔王此お見て宣はく、当に此れ召す女也、彼の鵜足郡の女おば可返しと、然れば三日お経て、鵜足の郡の女の身お焼失ひつ、然れば女の魂身死して、返入る事不能して、返て閻魔王に申さく、我れ被返たりと雲ども、体失て寄付く所無しと、其時に王使に問て宣く、彼の山田の郡の女の体は未だ有りやと、使答て雲く、未だ有り、王の宣はく、然らば其の山田の郡の女の身お得て、女が身と可為しと、此に依て鵜足の郡の女の魂、山田の郡の女の身に入ぬ、活て雲く、此我が家には非ず、我家は鵜足の郡に有と、父母活れる事お喜悲ぶ間に、此れお聞て雲く、女は我子也、何の故に此は雲ふぞ、思ひ忘れたるやと、女更に此お不用して、独家お出て鵜足の郡の家に行ぬ、其家の父母不知ぬ女来れるお見て驚き恠しむ間、女の雲く、此れ我が家也と、父母の雲く、女は我が子に非ず、我子は早く焼失てきと、其時に女具に冥途にして、閻魔王宣し所の言お語るに、父母此お聞て泣き悲て、生たりし時の事共お問聞くに、答ふる所一事として違事無し、然れば体には非と雲ども、魂現にそれなれば、父母喜て此お哀み養ふ事無限し、亦彼の山田の郡の父母、此お聞て来て見るに、正しく我子の体なれば魂非ずと雲へども、形お見て悲み愛する事無限、然れば共に此お信て、同じく養に、二家の財お此女独りに付嘱して、現に四人の父母お持て、遂に二家の財お領して有ける、此お思ひ饗お備て鬼お賂ふ、此れ空しき功に非ず、其れに依て此有る事也、亦人死たりと雲ふとも、葬する事不可匆する、万が一にも自然ら此る事有也となむ、語り伝へたるとや