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太平記
十九
金崎東宮並将軍宮御隠事
尊氏卿直義朝臣大に怒て、〈○中略〉此宮〈○恒良親王〉是程当家お失はんと思召けるお知らで、若隻置奉らば、何様不思議の御企も有ぬと覚れば、潜に酖毒お進て失奉れと、粟飯原下総守氏光にぞ下知せられける、〈○中略〉春宮御手に取せ給て、抑尊氏直義等、其程に情なき所存お挿む者ならば、縦此薬おのまず共、遁べき命かは、〈○中略〉命お酖毒の為に縮て、後生善処の望お達んにはしかじと仰られて、毎日法華経一部あそばされ、念仏唱させ給て、此酖毒おぞ聞召ける、将軍の宮〈○成良親王〉是お御覧じて、誰とても懸る憂き世に、心お留べきにあらず、同は後生までも、御供申さんこそ本意なれとて、諸共に此毒薬お七日までぞ聞召ける、軈春宮は其翌日より御心地例に違はせ給けるが、御終焉の儀閑にして、四月〈○延元三年〉十三日の暮程に、忽に隠させ給けり、将軍宮は廿日余まで御座ありけるが、黄疸と雲御いたはり出来て、御遍身黄に成せ給て、是も終に墓なくならせ給にけり、