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桃源遺事

同〈○元禄三年〉十一月廿九日、水戸へ御下り被成候とて、江戸お御発駕〈○徳川光国〉あそばされ候朝、
我今年致仕帰故郷、仲冬二十九日、夙発江戸之邸、臨別賦詩、遺男九成、文不加点、信口漫道、一笑胡 盧、元禄庚午冬、遁跡東海浜、致仕解印綬、縦作葛天民、盤旋広莫野、一洗栄辱塵、昔涎首陽薇、今羹呉江蓴、三十有年来、夙志忽欲伸、予去又何処、不知再会辰、鳴呼女欽哉、治国必依仁、禍始自閨門、慎勿 乱五倫、朋友尽礼儀、旦暮慮忠純、古謂君雖以不君、臣不可不臣、
右の御詩お綱条公へ御残し置せ給ひて、そのまゝ御発駕あそばし、〈○中略〉
一西山公御隠居後、常々御はなしあそばされ候は、世の人末期に辞世と申候て、詩歌など致候、去 ながら病気の品により、さやうの事ならざるもあるべく候、我は隠居して江戸お立候あした、 中将に残し置候詩〈御詩出前〉が辞世なりと仰られ候、此故に御病中に御辞世あそばされざるものと、人みな申あへり、