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泊泊筆話
一県居翁の門人に平田保〈通称服部安五郎〉といふ人ありけり、〈○中略〉此人常にいひしは、近来のひとの辞世の歌といふものお見きくに、みな禅家のさとりにて、心には何にさとれる事なき輩も、辞世の詩歌とだにいへば、みな口ぎよきことのみなり、いかでこの世お別るゝきはに至りて、さる人ばかりはあらむ、常に題おまうけてよみ出だすうたこそ、まれ〳〵には心にもあらぬ言おつみいでめ、それさへいかにぞやおぼゆるお、まして命おはらむきはに臨みて、心にもあらぬこといひ出づるは、なかなかになまさとりなる心あさゝの見ゆるぞかし、在五中将の、きのふけふとはおもはざりしお、など読まれたるこそ、まことにさることなれなど、人に向ひては、常にかたりけるが、かねてや思ひまうけけむ、又は其おりにのぞみてや心にうかびけむ、病いとあつしうなりて、
我はもよおはりなるべしいざ児どもちかくよりませよく見て死なむ、とよみて、身まかりにけり、世のすねものなりけむことおもひやるべし、