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西遊記

寿夭
予〈○橘南谿〉諸国おめぐり試るに、山中の人は長命なり、海辺の人は短命なり、京都の人は癰疔の如き腫物類は甚希なり、長崎には甚多くして、京都の三増倍五増倍ともいふべし、其由来お考ふるに、食物の事にあり、山中の人は魚肉なければ、常に芋大根の類のみお食す、もし年始節句其外祝ひ日といへども、富る者も才に塩肴乾物には不過、其上に高山深谷に登り下りて耕作に身お労し、才に麦飯に飢おしのぐ、麁食にして身お動く故に長命にて無病なり、海辺の人は魚肉に飽満て、飯のかはりにも、魚お食し、船の出入有りて諸国の運漕よろしければ、飯は其米自由なるゆへに、貧しき者もついに麦飯などは食せず、其上に山坂の働の苦労は無く、船にて往来やすらかにして、魚塩の利ゆたかなれば、自然と身も安くして美しよくにくらす故、病身にして短命なり、猶又山中は人の往来不自由にして、淋敷質朴なれば、売女遊里も無く、湿毒伝染の憂もなし、海辺は何方にても、諸国の通路よければ、賑に華麗にて、遊女あらざる所もなく、人ことに湿毒おうつり、且又塩風に湿気お受て内外より病お作り養ひ、心気お労し腎おつからし、いかなる壮実の生れ付といへども、短命病身ならざる事あたはず、是山中と海辺の寿夭の違ひの根本なり、〈○下略〉