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一宵話

尾張浜主
五雑俎に、長寿人お列載せし其最第一人は、日本紀武内三百七歳也、さしも広き唐にても此人より上なるは多くなし、さて此お日本紀にと読みて、東鑑の唐土へ渡れると同じやうに、此書紀もはやく彼国へ渡りしとおもふ人あれど、此は宋史に日本の大臣紀の武内とあるお、謝氏の引けるなれば、さは読まじき事也、此武内内大臣は紀伊国に生れ給ひしから、子孫紀お姓とし、大和の内の大野に住まれしから、内大臣と称せしならん、仁徳天皇の御末まで長命し、六代の天皇につかへられたり、扠寿は公卿補任には三百十二歳、愚管抄には三百八拾歳、或は東国よりの帰るさ、甲斐の国の山へ隠れられしとも、因幡国金亀へかくれられしともありて、さだかにはしられぬよしなり、むかし人の言に、賢相になられずば神仙にならんといひしが、此大臣は二つながら兼られていとめでたし、