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慶長見聞集

養心斎長命の事
見しは今、養心斎といひて歳の限りしらぬ老人、当年江戸へ来たりたりしが、三百年以来の時代お見たりといひて、くはしく物語なせり、康安二年二月朔日、惡星出現して、天地変異せし事共多かりし、近江の水海十丈程ひたりけるに、様々の不思議あり、先白髪明神の前なる沖にまはり、十ひろ計りなる瑠璃の柱立ならべ、五丁ばかりのそり橋水の上に浮たり、水底すみわたりて、竹生島より三の浦の間に竜宮有て、金玉のうてな、七宝荘厳あきらかにあらはれ、竜神の往来の為体、手に鏡お取て見るがごとし、心言葉も及ばれず諸人見物せり、我もよく見たりと委しく語る、某聞て其年号お考るに、慶長十九より当年迄は二百五十三年になりぬ、是はふしぎ也、御身何とて長命なるやと問ば、老人答て、我常に心安んずる是養生、白居易が詩に、たゞよく心閑則身もすゞしといへり、夫人間の寿命は天地人の三六お合て、百八十歳のよはひおたもつ事、是さだまれり、然るに身の行ひ道にたがひて後、医術お尽すといへども、日暮て道おいそぐに異ならず、すべて養生の道といふは、少年より老年に至る迄、おこたることなきお以て聖人の道とせり、故に養生は損せざるお以て延年の術とす、其上身おいとなむ事、第一食物、第二きる物、第三居る所なり、此三つおつゝしめり、四百四種の病は宿食お根本とし、三途八難のくるしびは、女人お根本とすと、南山大師の遺教なり、富貴にして苦あり、苦は心の危憂にあり、貧賤にして楽みあり、楽は身の自由にありと、楽天がいひしも誠に妙言なり、心の安き程のたのしみたえてなし、彭祖がいさめに服薬千てうより、一夜の独宿にはしかじと雲々、人間は衣食居医の四つお用ひ、精汁お深くつゝしむに至りては、齢三百年いくべき事と、養生論に委しく見へたり、上古の人は無為無事にして、天地陰陽の道に協ひ、身おたもつて命お尽し給へり、文選に身おおくに至りては理お失ふ、是お微にうしなふ、微お積て損おなし、損お積て衰おなす、衰より白お得、白より老お得、老より終りお得、悶として端なきが如しといへり、身の養生に至りては、其理お失ふ事、わずかにふしぎなる所より始て、其始終おしることなき故に、身おとろふる、すくやかなる時くすさゞれは病時悔る也、世の人のふるまひ平生は油断有て、已に存命不定となり、俄に良医お服すといへども治る事かたし、渇に臨んで井おほる事たゞに力お費す、あへて雪髪銀糸おまつ事なかれと、古人もいへり、かくよき道おおしゆるといへ共、我身に保はまれ也、此翁若きより今に至るまで養生怠らず、故に二百余歳お保ち来ぬ、何事も前方より用心なすべき事也と申されし、