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塩尻
四十一
一金岡が絵、道風が書、伝へて宝とす、民安が散楽、行景が鞠今見る事なし、晴明がと、康頼が医、其術家に伝ふ、されば能者の器物は形お伝へ、術者の事業は書に残りて、千歳朽せしなくもありや、其拙お伝ふるは、陸賈が武勇其雄弁に不及、東坡が唱曲蒦その文竟に加んや、石勒が棊、和靖が碁等、其拙おいへども其名おくだすべきかは、我人能もなく、又拙もなく、碌々として禽獣と群お倶にし、草木と同じく朽果なんは口惜しからずや、但し名お求るは又愚なるや、今難波に一井洞斎とて儒士あり、享保八癸卯年一百十六歳也、いと健かにして、住吉辺へは朝の間に往来す、されど強放にして世と戻り、人ごとにうとみ侍り、故其博学名もなく、不好の事のみ数へられ侍るとなん、都て長寿の者お見るに、残忍の性質強暴の雲為ある人多し、是血気の衰へなくして、命根長く侍るにや、慈忍柔和して好人と呼るゝ人短命多し、