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雲錦随筆

浪花堂島弥左衛門町、医師杉本一斎翁は、去ぬる天保十二年辛丑、百廿七歳にして至て壮健也、友人と談話の形勢頗る元気よし、最記億強く眼歯ともによく、手足とも達者にて、日々医療に出るに、常人の六十歳ぐらいのごとし、備前国船坂の産のよし、名お義玄といふ、其妻四十歳藤江といふ、娘辰、十七歳、男子三蔵、十五歳也、義玄翁正徳五年乙未七月十五日の誕生といふ、或人の携へたる扇に、此翁の手跡お見るに、吾是酔中翁と書たり書風筆勢更に老筆とは見えず、去る天保十一年子の春、公へ召出され、御扶持お賜るよし聞ゆ、
奥州白石近在の農夫段平といへる老人、文政十二年己丑の春六百七十二歳にして、尼け崎広徳寺といへる禅刹は、俗縁の由にて彼寺に暫く滞留し、且京摂の名所旧跡と見物せんとて、浪花に来り、博労町一丁目大喜といへる旅舎に止宿せるよし伝聞り、予〈○暁晴翁〉直に面会せざれば事実詳ならず、