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石田先生事蹟
行藤氏問、心と性と異なりや、
先生○石田梅巌答て曰く、心(○)といへば、性情お兼ね、動静、体用あり、性(○)といへば体にて静なり、心は動ひて用なり、心の体お以ていはゞ、性に似たる所あり、心の体はうつるまでにて無心なり、性もまた無心なり、心は気に属し、性は理に属す、理は万物のうちにこもりあらはるゝ事なし、心はあらはれて物おうつす、又人よりいふ時は、気は先にして性は後なり、天地の理よりいふ時は、理あつて後に気お生ず、全体お以ていふ時は理一物なり、理の万物のうちにあつて、あらはれざる事お譬ば、道元和尚の歌に、
世の中はなにゝたとへん水鳥のはしふる露にやどるつきかげ、かくのごとく、はしふる露の其微塵の如きまでも、こと〴〵く月かげのうつるごとく、理は見えずといへども、裏に具るおしらるべし、我性お覚悟して見れば、神らしき物もなく、大極や、また仏らしきものもなし、よつて此性お会得すれば、儒、老、荘、仏、百家、衆技といへども、皆我神国の末社にあらずといふ事なし或書に曰く、日本一面の神国といへば、広して狭し、微塵の中にも神国ありといはゞ、狭して広し、行藤氏しかりとてかのうたおしるす、