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烈公間話
大久保彦左衛門事、名誉之一徹(○○)者也、大坂御一戦之時、御鎗奉行其後御旗奉行也、或時牢人某来りて申は、け様に御静謐之御代なれば、無手々々と病死可仕候、天晴具足お肩に掛け討死仕度と、彦左気に入、ういやつといはれんと思て申ければ、彦左雲、誠に左様に存候かと被申、実に左様之心底と申、其時彦左雲、それが実なれば、日本一之不届者也、如何にと雲に、此御静謐之御代に、其方抔具足著候事は、先づ乱国ならで無き事也、代乱るヽは、一揆か、逆心か、左様の事有て其方具足可著、如何程の功名有ても、三百石か五百石也、其方一人五百石の立身可仕ため、天下乱お好む、公方様に御六け敷事お願申心底、扠々不届千万也、左様に実に存ずるならば、唯今腹お切れ、是非とも切れと白眼付て雲はれ、こそ〳〵と尻逃に仕けると也、