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源平盛衰記
三十四
明雲八条宮人々被討附信西相朋雲事
刑部卿三位頼輔は、〈○中略〉裸にて野中の卒都婆の様にて立給へり、さしも浅増き最中に、人々皆腸お断、〈○中略〉此三位の兄公越前法橋章救と雲人あり、彼法橋の中間法師、軍は如何成ぬらんとて、立出て見廻りける程に、河原中に裸に立たる者あり、何者ぞと思、立寄て見たれば、三位にてぞ御座てける、穴浅増とは思ひながらも、すべき様なければ、我著たはける薄黒染の衣の、脛高なるお脱て打懸たは、三位是お空に薯て、頬冠し給たりければ、衣短ふして腰まはりお過ず、墨の衣の中より、顔ばかり指出して、脛あらは也、中々直裸なりつるよりおかしかりければ、上下万人どよむ(○○○)也、中間法師に相具せられて、兄公の法橋の宿所、六条油小路へ御座しけり、従者の法師も、小袖一に白衣なり、主の三位も衣計に、ほうかぶりして空也、人目お立て指おさして笑ければ、〈○下略〉