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日本書紀
二十六/斉明
四年五月、皇孫建王八歳薨、今城谷上起殯而収、天皇本以皇孫有順而器重之、故不忍哀、傷慟極甚、〈○中略〉輒作歌曰、伊磨紀那屢(いまきなる)、乎武例我禹杯爾(おむれがうへに)、倶謨那尼母(くもだにも)、旨屢倶之多多婆(しるくしたゝば)、那爾柯那皚河武(なにかなげかむ)、〈其一○中略〉天皇時々唱而悲哭(みねす)、