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源平盛衰記

康頼熊野詣附祝言事
六波羅の使近付寄て、是は丹左衛門尉基安と申者に侍、六波羅殿より赦免の御教書候、丹波少将殿に進上せんと雲、〈○中略〉判官入道披之読に、〈○中略〉俊完僧都と雲、四の文字こそ無りけれ、執行は御教書取上て、ひろげつ巻つ披つ、千度百度しけれども、かヽ子ばなじかは有べきなれば、頓て伏倒絶入けるこそ無慚なる、良有起あがりては、血の涙おぞ流しける、〈○中略〉僧都は日来の歎は、思へば物の数ならず、古郷の恋しき事も、此島の悲しき事も、三人語て泣つ笑つすればこそ、慰便とも成つれ、其猶忍かねては、憂音おのみこそ泣つるに、打捨て上給なん跡のつれづれ、兼て思にいかヾせん、さて三年の契絶はてヽ、独留て帰上り給はんずるにや、穴名残惜や〳〵とて、二人が袂おひかへつヽ、声も惜ずおめきけり、〈○下略〉