[p.0771][p.0772]
今昔物語
二十
比叡山僧心懐依嫉妬感現報語第卅五
今昔、比叡の山の東塔に、心懐と雲ふ僧有けり、法お学びて山に有けるに、年若して指せる事無かりければ、山にも不住得ざりける程に、美濃守ののと雲ふ人有けり、其の人に付て彼国に行ぬ、守の北の方の乳母、此の僧お養子とす、然れば国司其の縁に依て、方々に付て願けり、此れに依て、国人此の僧お一供奉と名付て、畏り敬ふ事無限し、而る間其の国に夭疫発て、病死する者多かり、国人等此れお歎て、守の京に有る間に申上て、国人皆心お一にして、南宮と申社の前にして、百座の仁王講お可行き事お始む、〈○中略〉其の総講師には、懐国供奉と雲ふ人おなむ請ずる、〈○中略〉而るに其の日に成て、漸く事始むる程に、〈○中略〉総講師先づ申上げんが為に、仏お見奉る程に、彼の一供奉甲の袈裟お著て、袴扶お上て、怖く気なる法師原の、長刀提たる七八人許お具して、高座の後に出来て、三間許去立て、脇お掻て扇お高く仕て、嗔て雲く、彼の講師の御房、山にてこそ遥に止事無き学生とは見進しが、此の国にては守の殿、我れおこそ国の一法師には被用れ、他の国は不知ず、此の国の内には、上下お不論ず、功徳お造る講師には、国の一供奉ぞなむ、必ず請ずるに、御房止事無く坐すとも、賤き己お可請きに、己お置作ら、彼の御房お請じ進るは、守の殿お無下に蔑り奉るには非ずや、今日事は闕くと雲ふとも、其れに講師は不令為なれ、穴糸惜し、法師原詣来、此の総講師の御房の居たる高座、覆せと雲へば、即ち法師原寄て覆さむと為るに、講師丸び下る程に、長短なれば逆様に倒れぬ、従僧共提に提て、高座の迫より将逃れば、其後一供奉の代に飛登て嗔れば、講師の作法共しつ、余の講師共は我にも非ぬ心地して、行ひも非ず、事皆乱ぬ、国の者共も一供奉に未だ不見者共は、事にもぞ懸ると思て、後の方より皆逃て行ければ、人少に成ぬ、即ち事畢ぬれば、総講師の料工儲たりつる布施共は、皆一供奉に取せつ、残り留たる国人共の、思たる貌気色極て本意無き気色也、其の後墓無くて任も畢れば、一供奉も京に上ぬ、守も二三年許お経て死ぬれば、一供奉寄り付く方無くて、極て便無く成ぬ、而る間、白癲と雲て病付て、祖と契りし乳母も穢なむとて不令寄ず、然れば可行き方無くて、清水坂本の庵に行てぞ住る、其にても然る片輪者の中にも被〓て、三月許有て死けり、此れ他に非ず、厳き法会お妨げ、我が身賤くして、止事無き僧お嫉妬せるに依て、現報お新たに感ぜる也、然れば人此れお知て、永く嫉妬の心お不可発ず、嫉妬は是れ天道の〓み給ふ事也と、語ふ伝へたるとや、