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大鏡
五/太政大臣伊尹
あさなりの中納言と、一条摂政〈○伊尹〉とおなじおりの殿上人にて、しなのほどこそ一条殿とひとしからね、身のざえよおぼえやむごとなき人なりければ、頭になるべき次第いたりたるに、又この一条殿さうなくだうりの人にておはしましけるお、このあさなりの君申給ひけるやう、殿はならせ給はずとも、人わろく思ひ申べきにあらず、後々も御心にまかせさせ給へり、おのれは、此たびまかりはづれなば、いみじうから〈○ら原作う、今依一本改、〉かるべきことにてなん侍るべきお、のかせ給ひなんやと申給ひけれど、こゝにもさおもふ事なり、さらばさり申さんとの給ふお、いとうれしとおもはれけるに、いかにおぼしなりにける事にか、やがてとひこともなくなり給ふにければ、かくはかりたまふべしやはと、いみじう心やましと思ひまされけるほどに、御中よからぬ事にてすぎ給ふ程に、この一条殿の御つかうまつり人とかやのために、なめきことしたまひたりけるお、ほいなしなどばかりは思ふとも、いかにことにふれてわれなどおばかくなめげにもてなすぞと、むつかり給ふときゝて、あやまたぬよしも申さんとて、まいられたりけるに、さやうの人に我よりたかきところにまうでゝは、こなたへとなきかぎりはうへにものぼらで、しもにたてる事にてなんありけるお、これは六七月のいとあつくたえがたきころ、かくと申させて、いまや〳〵と中門にたちてまつほどに、西日もさしかゝりて、あつくたえがたしとはおろかなり、心ちもそこなはれぬべきに、はやうこの殿は我おあぶりころさんと、おぼすにこそありけれ、やくなくもまいりにけるかなとおもふに、すべてあくしんおこる事はおろかなり、よるになる程さてあるべきならねば、さくおおさへてまちければ、たうとおれける、いかばかりの心おおこされにけるにか、さて家にかへりてこのぞうながくたゝん、もしおのこゞもおんなごもありとも、はか〴〵しくてはあらせじ、あはれといふ人もあらば、それおもうらみんなど、ちかひてうせたまひたれ、〈○下略〉