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百家琦行伝

菖蒲革馬肝
馬肝は麻布白銀に住し、俳諧お業とす、常に菖蒲革の摸様おこのみ、衣服は上下(うへした)とも皆菖蒲革色にそめ、三角のもやうおちらし、家の壁など綠革のもやうにはり物し、器財もおほくは萌黄いろになし、三角に制したる器おもてり、三度の食事すら握り飯お三角に制させ、常に是お食しけり、最滑稽なり、一時社中の人々、何ぞ宗匠の喜ぶものお贈べしと、互にいひ合せ、一人は菖蒲革の夾袋(かみいれ)おおくる、一人は三角に火鉢お焼せておくりけり、今一人は薑擦おおくりけるが、馬肝これお殊のほか歓喜しとぞ、〈○中略〉
島の勘十郎
元禄の頃、京都室町通三条の南に、桜木勘十郎と雲ひし者在けり、古器古書画の鑑定およくしたり、這人つねに縞のものお好み、衣服より、帯、足袋にいたるまで、色々の縞お著し、扇のもやう副刀の鍔、さや、柄糸、印籠、雪踏の緒までも、みな縞ならずといふ事なし、旦暮の食事にも、鱠はさらなり、汁は千蘿蔔、かうのものも新漬と古漬と行儀よくきざみ双べ、煮物は大根、牛房、胡蘿蔔など、ほそく切てならべ、縞のごとく器にもり、魚の類も、鰆、しま鯛、すぢ鰹、すべて筋あるものお用ひ、椀折敷のたぐひは、皆縞にぬらせ、婢女、奴僕にいたるまで、残ず縞の衣服お著せたり、然ども在て異お好むにあらず、天性かくありしとぞ、家居も世にめづらしく、楼上の格子さま〴〵の縞にくみ建、店頭もいろ〳〵の唐木もて、おもしろく組建し縞の格子、ひさしの垂木は紫竹と寒竹にて、三本づつに色お替らせ、中庭の泉水には、当下はやりし島といへる金魚お放ち這ところより楼上まで梯木おかけ、その梯木二木づゝ縞にくみたり、左右唐樹つくりの欄干、擬宝珠にいたるまで、残らず縞のかたちに造れり、中庭の北おもて、隣家の壁まで這方より縞にぬらせ、店頭の長暖簾はいふもさらなり、畳の縁までみな縞なりき、然ば島の勘十郎とて、当頃名だかき人なりしとぞ、平安鹿角比豆流とかいへる人、東都馬琴翁へ書ておくられたる儘茲にしるす、