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玉勝間

夢のうき橋
夢の浮橋といふは、古き歌に、世の中は夢のわたりのうきはしかうち渡しつゝ物おこそ思へ、とあるより出たることにて、夢の渡りの浄橋といふは、万葉三の巻に、吾行(わがゆき)は久にはあらじ夢乃和(いめのわ)太(だ)瀬とはならずて淵にてあれも、又七の巻に、芳野作とて、夢乃和太(いめのわだ)ことにし有けりうつゝにも見て、来(こ)し物お思ひし思へば、など見えて、吉野川にある、夢の和太(わだ)といふ名所にて、そこに渡せる浮橋也、懐風藻に、吉田連宜が、従駕吉野宮詩に、夢淵と作れるも此所也〈○中略〉源氏の物がたりに、巻の名とせるは、夢のことにとれる也、同じ物語薄雲巻の詞に、夢のわだりのうきはしかとのみ、うちなげかれてといへるも、たゞ夢かといふこと也、然れば紫式部は、名所なることおしらずして、かの歌なるおも、夢のことゝおもひ誤れるにやあらん、此もの語に、夢のことゝして、巻の名につけたるより後は、ひたすら夢のことゝなわり、狭衣の歌にも、はかなしや夢のわたりの浮はしおたのむ心のたえもはてぬよ、