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平家物語

人道逝きよの事
入道相国の北の方、八条の二位殿の夢に、見給ひける事こそおそろしけれ、たとへばみやう火のおびたゝしうもえたる車の、主もなきお、門の内へやり入たるおみれば、車の前後に立たるものは、あるはうしのおもてのやうなるもの有、あるひは馬のやうなるものも有、車の前には、無といふ文字ばかりあらはれたる、くろがねのふだおぞ打たりける、二位殿夢の内に、是はいづくよりいづちへととひ給へば、平家太政の入道殿の、惡行てうくはし給へるによつて、えんま王宮よりの、御むかひの御車也と申す、さてあのふだはいかにととひ給へば、南えんぶだいこんどう十六丈のるしやな仏、やきほろぼし給へるつみによつて、無間のそこにしづめ給ふべきよし、えんまのちやうにて御さた有しが、むけんの無おばかゝれたれ其、いまだ聞の字おばかゝれぬ也とそ申ける、二位殿夢さめて後、あせ水になりつゝ、是お人にかたり給へば、聞人皆身のけよだちけり、