[p.0800][p.0801][p.0802]
今昔物語
三十一
常澄安永於不破関夢見在京妻語第九今昔、常澄の安永と雲ふ者有けり、此れは惟孝の親王と申ける人の下家司にてなむ有ける、其に安永其の宮の封戸お徴らむが為に、上野の国に行にけり、然て年月お経て返り上けるに、美濃国不破の関に宿しぬ、而る間安永京に年若き妻の有けるお、月来国に下ける時より、極て不審く思けるに合せて、俄に極じく恋しく思えける、何なる事に有ならむ、夜明ば疾く忿ぎ行かむと思て、関屋に寄臥たりける程に寝入にけり、夢に安永見れば、京の方より火お燃したる者来るお見れば、童火お燃して女お具したり、何なる者の来ならむと思ふ程に、此の臥たる屋の傍に来たるお見れば、此の具したる女は、早う京に有る我が不審と思ふ妻也けり、此は何かにと奇異く思ふ程に、此の臥たる所に壁お隔て居ぬ、安永其の壁の穴より見れば、此の童我が妻と並び居て、忽に鍋お取寄て飯お炊て童と共に食ふ、安永此れお見て思はく、早う我が妻は、我が無かりつる間に、此の童と夫妻と成にけりと思ふに、肝騒ぎ心動て不安ず思へども、然はれ為む様お見むと思て見るに、物食ひ畢て後、我が妻此の童と二人掻抱からひて臥ぬ、然て程も無く娶、安永此れお見るに、惡心忽に発て、其こに踊入て見れば、火も無し人も不見えずと思ふ程に夢覚ぬ、早う夢也けりと思ふに、京に何なる事の有るにかと、弥よ不審く思ひ臥たる程に、夜明ぬれば、急立て夜お昼に成て、京に返て家に行たるに、妻恙が無くて有ければ、安永喜と思けるに、妻安永お見まヽに咲て雲く、昨日の夜の夢に、此に不知ぬ重の来て、我れお唱て相具して、何くとも不思ぬ所に行しに、夜る火お燃して、空なる屋の有し内に入て、飯お炊て童と二人食て後、二人臥たりし時に、其こに俄かに出来たりしかば、童も我も騒ぐと思ひし程に夢覚にき、然て不審と思ひ居たりつる程に、此く御たると雲けるお聞て、安永我も然々見て不審しと思て、夜お昼に成して急ぎ来たる也と雲ければ、妻も此く聞て奇異く思けり、此お思ふに、妻も夫も此く同時に同様なる事お見けむ、実に希有の事也、此れは互に同様に不審しと思へば、此く見るにや有らむ、亦精の見えけるにや有らむ、不心得ぬ事也、然れば物などへ行にも、妻子にても強に不審しとは不思まじき也、此く見ゆれば極く心の尽る事にて有る也となむ、語り伝へたるとや、