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源平盛衰記
十一
小松殿夢同熊野詣事
治承三年三月の比、小松内府夢見給けるは、伊豆国三島大明神へ詣給たりけるに、橋お渡て門の内へ入給ふに、門よりは外右の脇に法師の頭お切かけて、金の鏁お以て大なる木お堀立て、三つ鼻綱につなぎ付たり、大臣思給けるは、都にて聞しには、二所三島と申て、さしも物忌し給て、死人に、近付たる者おだにも、日数お隔て参るとこそ聞しに、不思議也と覚て、御宝殿の前に参て見給へば、人多居並たり、其中に宿老と覚しき人に問給やうは、門前に係りたるは、いかなる者の首にて侍ぞ、又此明神は死人おば忌給はずやと宣へば、僧答て雲、あれは当時の将軍、平家太政入道と雲者の頸也、当国の流人、源兵衛佐頼朝、此社に参て、千夜通夜して祈申旨ありき、其御納受に依て、備前国吉備津宮に仰て、入道お討してかけたる首也と見て、夢さめ給ぬ、恐し浅猿と思召、胸騒心迷して、身体に汗流て、此一門の滅びんずるにやと、心細く思給ける処に妹尾太郎兼康、折節六波羅に臥たりけるが、夜半計に小松殿に参て案内お申入、大臣奇と覚しけり、夜中の参上不審也、若我見つる夢などお見て、驚語らんとて来たるにやと御前に被召、何事ぞと尋給へば、兼康畏て夢物語申、大臣の見給へる夢に少しも不違ざればこそと涙ぐみ給て、よし〳〵妄想にこそ、加様の事披露に不及誡宣けり、懸ければ一門の後栄憑なし、今生の諸事思ひ捨て、偏に後生の事お祈申さんとぞ思立給ける、