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今昔物語
十七
依地蔵示従鎮西移愛宕護僧語第十四
今昔、鎮西肥前の国の背振の山と雲ふ所は、書写の性空聖人の行ひ給る所也、山深くして貴き事此に過たる所世に無し、此れに依て仏道お修行する、止む事無き行人来り住む事不絶ず、而るに中比一人の持経者有て彼の山に住む、日夜に法花経お読誦し、寤寐に地蔵尊お念じ奉る、此れお以て生前の勤とす、而る間齢漸く傾て六十に満ぬ、然れば弥よ後世お恐れて、現世の事お不思はず、而るに本尊の御前にして申さく、我が命お可終き所お示し給へと、勤に祈り請ふに、夢の中に、一人の小僧有り、形ち端厳也、来て此僧に教へて雲く、女ぢ若し臨終の所お尋ねむと思はヾ、速に王城の方に行て、愛宕護の山の白雲の峯に可行し、但し月の廿四日は、此れ女が命お可終き日也と告給ふと見て夢悟ぬ、其の後僧涙お流して、夢の告お知ぬ、弟子等師の泣お見て、其の心お問ふと雲へども、師答ふる事無くして、隻一紙に此の夢の告お注して、密に経箱の中に納めて置つ、其の夜の夜半に、其の山お去て独り出で、、王城の方へ数日お経て、月の廿四日お以て、彼の愛宕護の山の白雲の峯に行著、自ら一の樹の下に留て、一夜お過しつ、朋る日其山の僧共集り来て問て雲く、女ぢ何れの所より来れる人ぞと、僧答て雲く、我れ鎮西より来れる人也、此の外陳べ語る事無し、然れば住僧等此れお哀憐して、朝夕に飲食お調へ送る、如此して日来お経る間、亦月の廿四日に成ぬ、早旦に山の人其所に至て見れば、彼の鎮西の僧、西に向て端座合掌して入滅しけり、此れお見て驚て、山の諸の僧に告けり、僧等此れお聞て多く集り来て見るに、誠に入滅せる様、貴き事無限し、経袋に一紙の書有り、諸の僧此の書お披て見るに、具に彼の夢の事お注せり、僧共此れお見て、弥よ貴び哀むで、集りて泣々く没後お訪ひ、報恩お送りける、宛かも師君の恩お報ずるに不異ず、此れ偏に地蔵菩薩の大悲の利益也、然れば奇異の事也とて語り伝ふるお、聞継て語り伝へたるとや