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太平記
二十
義貞夢想事附諸葛孔明事
其七日に当りける夜、義貞の朝臣不思議の夢おぞ見給ける、所は今の足羽辺と覚たる河の辺にて、義貞と高経と相対して陣お張る、未戦ずして数日お経る処に、義貞俄にたかさ三十丈計なる大蛇に成て、地上に臥給へる、高経是お見て、兵おひき楯お捨て逃る事、数十里にして止と見給て、夢は則覚にけり、義貞夙に起て、此夢お語り給に、竜は是雲雨の気に乗て、天地お動す物也、高経雷霆の響に驚て、葉公が心お失しが如くにて、去る事候べし、目出き御夢なりとぞ合せける、援に斎藤七郎入道道献垣お阻て聞けるが、眉おひそめて潜に雲けるは、是全く目出き御夢にあらず、則天の凶お告るにて有べし、〈○中略〉此故事お以て、今の御夢お料簡するに、事の様、巍呉蜀三国の争に似たり、就中竜は陽気に向ては、威お震ひ、陰の時に至ては、蟄居お閉づ、時今陰の初め也、而も竜の姿にて、水辺に臥たりと見給へるも、孔明お臥竜と雲しに不異、されば面々は皆目出き御夢なりと合られつる共、道献は強に甘心せずと、眉おひそめて雲ければ、諸人げにもと思へる気色なれども、心にいみ言に憚て、凶とする人なかりけり、