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鳴門中将物語
女うちなみだぐみて、御ふみひろげてみるに、此くれにかならずとある文字のしたに、お(○)といふもじおたゞひとつ、すみぐろに書て、もとのやうにして、御使にまいらせけり、御文もとのやうにて、たがはぬお御らんじて、むなしく帰たるよと、ほいなくおぼしめすに、むすびめのしどけなければ、あけて御らんずるに、このお文字ありとて、御案あれども、御心もめぐらせ給はず、さるべき女房たちお、少々めして、このおもじお御尋ありければ、承明門院に小宰相の局とて、家隆卿のむすめの、さぶらひけるが申けるは、むかし大二条殿、〈のりみち〉小式部の内侍のもとへ、月といふもじおかきて、つかはしたりければ、さるすきもの泉式部のむすめ也ければ、母にや申あはせたりけん、やすくこゝろえて、月のしたにおといふ文字ばかりお書て、まいらせたりける、其心なるべし、月といふ文字は、よさりに待侍るべし、いで給へと心えけり、又人のめし侍る御いらへに、男はよ(○)と申、女はおと申なり、されば小式部内侍も、上東門院にさぶらひけるが、まかりいでてまいりたりければ、いよ〳〵心まさりして、めで思食ける、これも一定まいり侍りなんと申ければ、御心地よけに、おぼしめして、したまたせ給けり、〈○中略〉蔵人忍びやかに、此女侍るよし奏し申ければ、嬉しうおぼしめされて、やがてめされにけり、〈○又見古今著聞集〉