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雲萍雑志

ある家のあるじ、五十五歳のころ、妻の身まかりければ、後妻おむかふるに、年いとわかし、客の悦びに来りて、洒宴お催す折から、その子廿六歳にして、後妻は廿五歳なりけるが、二人とも其席に出でゝともに客おもてなすにぞ、主人酩酊のうへにて、座興に乗じて雲ひけるは、我等五十五歳にして、廿五歳の妻お持つことまことにおとなげなしといへども、縁のいたすところにして、よりどころあらざればなるべし、しかれば忰に対し、面目おも失ふことなり、かくならびたるやうすお見るに、忰が妻にして相応の年ごろなりといひけるが、いつしか後妻と、その子と終にひそかに通じて、家に居ること協はで、他国へ奔りて、夫婦となれりとかや、その親かゝる一言より、若輩の心みだるゝ基とはなれるなり、人は多言お慎むべし、多言はやぶれあり、譏おももとめ、身お亡すは口なり、農夫町人たりとも、一言以て知とし、一言以て不知とするは、古人の誡なり、つゝしむべし、